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塩谷朝業 しおのやともなり 


No.32


【塩谷朝業】

しおのやともなり

Shioya Tomonari


宇都宮頼綱の弟で、養子として塩谷家の名跡を継いだ文化人。和歌を通じ将軍・源実朝とも親しかった。


【別称・通称】四郎/五郎/信生法師(しんしょうほうし)

【官位】従五位下/兵衛尉/周防守/民部大輔

【生年】承安4年(1174年)

【没年】宝治2年(1248年)

【時代】平安時代末期〜鎌倉時代初期

【氏族・血族】藤原北家道兼流下野宇都宮氏〜清和源氏流塩谷氏

【在所・所領】下野国塩谷郷

【墓所】?

【由縁の場所】栃木県矢板市/宇都宮市/鎌倉市/京都市

【家系・系譜】

父:宇都宮成綱  

義父:塩谷朝義

母:平長盛娘

妻:塩谷朝義娘

子:塩谷親朝、笠間時朝

兄弟:宇都宮頼綱、業綱、永綱




有名な和歌と生涯


父は宇都宮氏第四代の宇都宮成綱で宇都宮氏の生まれだが、名家である清和源氏流の塩谷氏の当主朝義に嫡子がいなかったことから、朝義の娘婿となり塩谷氏の名跡を継いだ。


正治元年1199年、この頃から居城の川崎城(下野国塩谷郡・現栃木県矢板市)の築城を始める。


建仁3年1204年、この頃川崎城が竣工、居城を移す。


主君である鎌倉幕府の三代源実朝に仕えて歌詠みの相手となる。

「吾妻鏡」よる逸話では、建暦2年1212年2月1日風邪で勤めを休んでいた朝業に源実朝が心配をして、梅の花を一枝折り、実朝と名乗らずに朝業に届けさせると、朝業は直ぐに実朝から贈られたと理解して返歌、


「嬉しさも匂いも袖に余りける、我が為折れる梅の初花」

(訳:私のために梅の初花の枝を折って、お届けいただき、わが家は梅の香りがただよい、私の心はうれしさでいっぱいになりました。)


と一首詠んで奉じた、とある。


朝業と実朝は、主従を超えた親しい心を交流があり、朝業に対しての実朝の強い信頼が感じられる。


建暦3年1213年、将軍御所が焼失したため、新御所を建てて移転が行われ、京からの使者を新御所に迎えるための行列の御後の一人として参列。




和歌の文化に貢献


建保7年1219年、将軍実朝の右大臣就任の拝賀のため、鶴岡八幡宮に参じる行列に参列。実朝、公暁に襲われて落命する。


朝業は実朝が暗殺されると塩谷に戻り、法然の門弟・証空の弟子となり出家して信生(しんしょう)と号して隠遁し、その後の半生は歌人として信生法師日記を著し過ごしたという。

兄の宇都宮頼綱(入道蓮生法師)と共に宇都宮歌壇を創成し和歌の文化に貢献する。


高僧法然を畏敬してその弟子の証空(しょうくう)に師事し、文人・宗教人として暮らした。


歌集『信生法師集』をまとめた他、新和歌集、新勅撰集にも多く入集している。


宝治2年1248年10月7日京都にて客死。火葬されたという。享年75歳。



☆矢板市では市のゆるキャラ「ともなりくん」として親しまれている。




※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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