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3人の乳母による援助

 


【3人の乳母による援助】


皐月五月は、私の誕生月だからという訳ではありませんが、私が一年で一番好きな月です。遠くに見える山や郊外の野山の木々も新緑が鮮やかになり、文字通り風薫る季節です。


また、端午の節句の祝日や黄金週間の休日など、イベントも多い時期です。そんなイベントの一つに「母の日」があります。「母の日」は、20世紀の初め、アメリカの一女性が自分の母の死を悼み、命日である5月第2日曜日に、母が好きだった白いカーネーションを飾ったのが始まりとされています。


日本でも戦後に母の日として定められ、家族のために働く「お母さん」をねぎらい、感謝の気持ちを表す日として定着しました。日本では古来より母の存在が強く意識されており、貴族や名門武家においては、産みの母とともに育ての母の存在が重要でした。それが「乳母(めのと)」という立場の女性で、家の格式や武士としての心構え、礼儀などを教える教育係という一面も持っていました。ですから乳母たちには、格式や礼儀、儀典の次第をよく知る家柄の良い、格式の高い人たちが多く選ばれたようです。


今話題のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、源頼朝の育ての母である乳母が重要な存在として出てきていますが、実際に頼朝には4人(一説には5人)の乳母がいたといわれます。


実は、その内の3人「寒川尼」「比企尼」「山内尼」は、藤原秀郷の子孫の女性で、頼朝の父である義朝は、源氏の惣領としての頼朝を育てるのに、藤原秀郷の流儀を求めたことは間違いありません。中でも「寒川尼」と「比企尼」は、流人時代から長く頼朝を支え続けた恩人的な存在だったといわれています。



2022年5月1日

文 運営事務局 一般社団法人 武将伝説 専務理事:岡田 康男 イラスト/みやもとデザイナー:田口 義尚


 

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