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氏家公頼 うじいえきみより 

最終更新: 1月8日


File No.18 

【氏家公頼】

うじいえきみより

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鎌倉幕府を支えた氏家藩の若き当主。

The young founder of UJIIE family who supported Government of Kamakura-Bakuhu.


【別名】道円(法名)

【官位】兵衛尉

【生年】永暦元年  

【没年】貞応3年 (1160〜1224)

【氏族・血族】宇都宮氏 氏家氏

【父】宇都宮朝綱

【母】醍醐局

【兄弟】宇都宮業綱 那須頼資 蒲生秀綱



■ 氏家公頼は氏家氏の祖

下野国氏家を在所地として氏家郷二十四地を支配した。

源頼朝の上洛に従うほどの有力御家人であり、鶴岡八幡宮の流鏑馬や由比が浦での笠懸の射手に選ばれるほどの弓の名人でもあった。

建久5年(1194年)に公田掠領事件で、父宇都宮朝綱と甥の頼綱が流罪になったときは、一時的に宇都宮城に入り、その城代を務めている。


その出自には諸説ある。

宇都宮氏三代宇都宮朝綱の子といわれるが、当時力をつけてきた宇都宮氏がその勢力基盤拡大のため、朝綱の子の公頼に氏家郷を治めさせ、氏家氏を創始したといわれている。



■ 出生の説が多数!?

その他の説としては、紀姓氏家氏からの養子説。

宇都宮宗綱又は宇都宮朝綱の養子であるとする説。

宇都宮宗綱の娘婿であるとする説。

小山政光の子である宇都宮公重の子とする説。

佐貫磨崖仏奥の院大悲窟に収められていた銅版曼荼羅に公頼の名があるので、橘氏の出自とする説。


公頼の出自について多くの説が伝わっているのは、各地の氏族・豪族たちが、「公頼のような人物が、我が氏族、我が家系の祖にあればよかったものを・・・」と切望したためで、それだけ公頼が優れた人物で、誉れ高い存在であったのではないか、と想像できる。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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