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八田宗綱 はったむねつな 

最終更新: 4月12日


【八田宗綱】

はったむねつな 


宇都宮氏の永い栄華の基礎を築いた二代当主。藤原宗円の下で宇都宮氏を盛り立て宇都宮の名跡を継ぐ。


【別名】宇都宮宗綱 中原宗綱 八田権守

【生年】応徳3年 1086年

【没年】平治元年 1159年

【時代】平安時代後期

【氏族・血族】藤原氏 八田氏

【所領】下野国宇都宮

【由縁の場所】下野国宇都宮 下館市八田

【父・母】

父:藤原兼仲(実父)  

養父:藤原宗円  

母:益子正隆の娘

妻:平棟幹の娘(八田局) 多気(たけ)致幹の娘

子:宇都宮朝綱


八田宗綱は、藤原北家の直系・藤原兼仲の子で、母が身篭って間もなく兼仲が亡くなり、母は、兼仲の兄弟である藤原宗円と再婚する。生まれた宗綱は、義父の宗円の養子となり、その家督を継ぎ、宇都宮氏の当主となる。そのため宇都宮宗綱とも呼ばれる。



八田氏について


八田氏は、もともとは常陸国八田(現在の茨城県下館市八田)を所領としていたといわれる。このことは、宗綱の姓が八田であるということはもとより、現存系図によると父・宗円が益子の豪族である益子正隆の娘を室としていること、宗綱が常陸国大掾の平棟幹(大掾棟幹)の娘を室としていること、後に小田氏始祖となる次男の知家も八田を称していること、嫡男の朝綱の母が八田局と呼ばれていることなどからも知ることができる。

また、宗綱は、筑波付近を治める常陸平氏の一族・多気(たけ)致幹の娘も妻に迎えた。常陸・小貝川近辺は宗綱の根拠地として都合が良く、致幹は奥州の有力者とも関係が深く、財力もあった。多気氏としては、京で院を警護する武者所出身の宗綱が持つ京との人脈が有効だったのだろう。


藤原宗円の養子になる


そして宗綱は、その八田の勢力を背景に藤原宗円(宇都宮氏初代)の養子となり、配下の真岡芳賀氏を引き連れ宇都宮に入り、その後の宇都宮氏繁栄の基礎を作ったといわれる。

娘の寒河尼は源頼朝の乳母を務め、小山政光の後妻となって結城氏の祖となる朝光を生んでいる。(寒河尼は、一説には八田宗綱の子・宇都宮朝綱の娘ともいわれる。)



※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。




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