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長沼宗政 ながぬまむねまさ 

最終更新: 9月10日


File No.19 

【長沼宗政】 ながぬまむねまさ munemasa_naganuma


宇都宮氏の流れをくむ多くの強大な武士団の一つで、鎌倉幕府を支えた。

Naganuma family clan supported Government of Kamakura Bakuhu with one of many mighty samurai groups born from Utsunomiya family clan.


官位・役職=下野御厨別当職 淡路守護職

生年=応保2年  

没年=仁治元年 (1162〜1241)

氏族・血族=藤原北家秀郷流小山氏〜長沼氏

小山氏の初代・小山政光の次男で、

長沼氏、そして後の皆川氏の始祖。


藤原秀郷を祖とする小山政光が治めた小山氏を中心に、その子達から派生する長沼氏、皆川氏、吉見氏、結城氏など強大な勢力を誇ったこの一族は、頼朝の鎌倉幕府を支える有力な御家人として、その存在感は大きい。


頼朝から弓を賜ったことが自慢で、多くの在民たちにもそれを示したといわれる。

「当家に伝わる武勇はすべて自分が行った」と公言、強く自慢したといわれる。

三代将軍・源実朝を、蹴鞠をしたり武芸に劣り女のようだ、と言ったり、しばしば激昂する気性の荒い人物で言葉も悪かったと伝えられ、『吾妻鏡』によると、「荒言悪口の者」と評されている。


寿永2年(1183年)、野木宮合戦で志田義広を討ち、その後は源頼朝に従って平家追討に出陣した。

文治5年(1189年)9月、頼朝の奥州合戦に随行。

頼朝から信濃国善光寺地頭職を与えられたがのちに改替された。

正治2年(1200年)美濃国大榑荘の地頭職を得る。

建仁3年(1203年)の比企能員の変、元久2年(1205年)の畠山重忠の乱に北条氏の軍として従い、承久の乱にも従軍した。

その後、摂津国守護職、摂津藍荘地頭職を得る。

更に淡路国守護職、淡路笑原保と上田保地頭職を給与され、国守・守護を兼任して淡路を支配した。


淡路国守護職は鎌倉時代末期まで長沼氏に相伝され、貞応2年(1223年)には淡路の大田文まで作成された。寛喜2年(1230年)に嫡子・時宗に譲った所領は、本領の長沼荘・下野御厨別当職・淡路守護職を始めとして、武蔵国・陸奥国・美濃・美作国・備後国などの諸国に及ぶ広大なものだった。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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