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小山朝政 おやまともまさ 

最終更新: 9月10日


File No.16 

【小山朝政】 おやまともまさ tomomasa_oyama

武勇に優れ頭が良く、小山氏永続の基盤を作った。

He is smart and strong.

He made a foundation of permanence of OYAMA family.


官位:検非違使 従五位下 下野守

生年=保元3年 

没年=嘉禎4年(1158〜1238)

氏族・血族=藤原北家秀郷流小山氏

   小山氏初代・小山政光(File No.10)の長男で小山氏二代

所領=下野国小山


下野国寒河御厨(小山庄)を本貫地とする。

源頼朝に挙兵の頃から仕え、下野国守護の他、播磨国守護に補されたほか、晩年に下野守にも任ぜられた。


父の小山政光は武蔵国の太田氏の出であり、下野小山に移住して小山氏を名乗り、後室に八田宗綱の娘で源頼朝の乳母である寒河尼を娶っていた。


治承4年(1180年)源頼朝は平氏打倒の兵を挙げ、小山朝政に参戦を求める書状を送る。

10月母の寒河尼は子の朝光を伴って頼朝の下に参じ、朝政もその後の早い時期に従ったと考えられている。(参照:File No.10小山政光およびFile No.11寒川尼)


野木の宮の合戦では、弟の長沼宗政らと組み平家軍志田義広を攻めた。朝政は、義広の放った矢を受け落馬したりもしたが、無事に攻め破った。

頼朝に戦勝を告げると、頼朝は、志田義広の所領を収公し、朝政らに恩賞を与えた。


奥州合戦においては、源頼朝に従軍して参戦。下野古多橋駅(現・宇都宮市)にて宇都宮社(二荒山神社)に戦勝記念をした際、その宿所にて父・政光が頼朝をもてなした。

その場に熊谷直家が在り、政光が「直家は何者か」と質問すると、頼朝は直家を無双の勇士と評し、直家は配下が少なく源平合戦では自らが戦った、と褒め称えた。

政光は子の朝政・宗政・朝光ら兄弟と、その場にいた血縁の宇都宮頼綱に対し、今度は自らが刀を持って戦い、無双のお褒めをもらうよう命ずる。頼朝はこれを聞くと大変面白がった、という。


建久5年(1194年)頼朝が朝政の家を訪問。流鏑馬の作法について語らせ、それを記録させる。流鏑馬の流派は藤原秀郷にそのはじめがあり、と伝えられており、その流れをくむ小山氏に手本を求めたと思われる。


これまでの勲功として頼朝に御家人10人の成功推挙が与えられた時、その1人に入り右衛門尉に任ぜられる。また、上京して大番役を務める。承久の乱においては、宿老の一人として鎌倉にとどまった。

嘉禎4年3月30日没。84歳と長命であった。


※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。


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