小田氏治 おだ うじはる
No.54
【小田氏治】
おだ うじはる
Oda Ujiharu
宇都宮氏の配下である常陸小田氏第十五代で最後の小田城主。生涯を賭けて小田城争奪戦に奮戦45戦18勝21敗6分。
【別称・通称】小太郎(幼名)/天庵(法号)
【官位】駿河守(一説)
【生年】天文3年(1534年)
【没年】慶長6年(1602年)
【時代】戦国時代〜安土桃山時代
【氏族・血族】小田氏/本姓は藤原氏/宇都宮氏八田氏
【在所・所領】常陸国小田(筑波)
【墓所】永平寺/新善光寺
【由縁の場所】小田城址/つくば市
【家系・系譜】
父:小田政治
母:上曾治重娘または佐山長朝娘
兄弟:朝治、高治
妻:葉月(正室)、江戸忠通娘、稲姫(側室)、芳賀貞利娘
子:友治、守治、駒(結城秀康室)
本姓は藤原氏で、家系は名門宇都宮氏流の八田知家を祖とする。
常陸の大名小田氏第十五代にして小田氏最後の当主。
鎌倉公方を支える「関東八屋形」の一つでもある。
■生涯45戦18勝21敗6分
弱小の戦国大名ゆえに戦国の世に翻弄され、生涯を戦に明け暮れた。
生涯45戦18勝21敗6分。(諸説あり)
30年以上にもわたって繰り広げられた居城である小田城の争奪戦など、度重なる合戦でしばしば勝利も収めるが、また敗戦も多い。
■戦に明け暮れた武将
上杉氏や北条氏の援助が弱まり孤立すると、常陸の佐竹氏からの激しい攻撃にも対した。
晩年は豊臣秀吉に所領を没収され、大名小田氏は消滅したが、後に結城秀康に仕えた。
近年は、弱小が故に人気が高い戦国大名の一人。
※記載の内容は、株式会社みやもとが歴史的資料をもとに独自の解釈も加えて表現しています。史実とは異なる解釈、見解も含まれておりますので、あらかじめご了承ください。
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