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神奈川県鎌倉市 へ行ってみた!その2

第8回 「頼朝、義時の墓と鎌倉幕府跡」

ライター:さいとうゆめか



【神奈川編!鎌倉市の源頼朝の墓、北条義時の墓と幕府跡を巡る!】



みなさんこんにちは!


歴史初心者ブログ」でもおなじみのライターゆめかです♪


旅ブログ8回目!


今回も、栃木を飛び越えて!2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台でもある鎌倉市を紹介したいと思います!それでは、レッツゴー!










鶴岡八幡宮の後は…大蔵幕府跡へ!



「鶴岡八幡宮」から東に位置する「大蔵幕府跡」の石碑を発見!




「大蔵幕府跡」とあまり聞きなれない名前でしたが、、

ゆっくりじっくり何と書いてあるのか読んでみると...


実はここ、鎌倉幕府を成立した「源頼朝」が館があったところとのことなのです!!!


幕府が開かれ、頼朝が政権を握ってからは、この場所で政治が行われていたとのこ!

つまり!鎌倉幕府の中心地?!ということでしょうか!?


もしかしたら、栃木の武将たちもここを通っていたのかなぁ…と、

石碑を目の前にして、色々想像してしまいました。。


みなさんもぜひ、鶴岡八幡宮に行く際は、

大蔵幕府跡も一緒にみてみてください♪



■次は、源頼朝、北条義時の墓へ!



来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のキーパーソンの2人







源頼朝は、武士が中心の政治を初めて確立し「鎌倉幕府」を開いた、みなさんもご存知の有名武将♪


北条義時は、「鎌倉殿の13人」の主人公でもあり、頼朝の後に鎌倉幕府を取り仕切った武将。


どちらも、鎌倉幕府の中心人物ですが、この二人の武将のお墓が

大蔵幕府跡の近くにあるんです!


鶴岡八幡宮の社務所の方が丁寧に場所を教えてくださり…

看板を見ながらやっと到着!




お墓は石段を上がって少し高いところに建てられていました。

北条義時の墓は形としては残っていませんでしたが、

源頼朝のお墓は建て直しがされていて、今でも形としてはっきり残っていました!



お墓の向かいからは鎌倉市街が見え、今でも頼朝が鎌倉の街を見守っていてくれているように感じました。。(そう感じたのは、私だけかもしれません..)




幕府のトップ二人を目の前にして、自然と気がひきしまり、

改めて当会の活動にも力を入れて全速力で挑んでいかなければいけないな…!と痛感しました!



 

【源頼朝の墓、北条義時の墓へのアクセス】


住所:〒248-0004 神奈川県鎌倉市西御門2丁目5

アクセス:電車の場合→ JR鎌倉駅東口4番・5番バス乗り場から八幡宮行きで「岐れ道」下車徒歩3分

または、JR鎌倉駅東口から徒歩23分

駐車場:なし


 



■最後に、小山朝政宅跡、八田知家宅跡を目指して!


実は、栃木の武将「小山朝政」と宇都宮氏の「八田知家」は幕府の御家人として

鶴岡八幡宮近くに住んでいた!?とのことで、もしかしたら今でも何か残っているのでは…?

と思い、どこらへんだったのかを調べていました。



ただ、なかなかはっきりした場所がわからず、、

悩んだあげく、現地の鶴岡八幡宮の社務所の方や鎌倉市の役所の方に聞いてみました!


すると…「確かに、吾妻鏡によると八幡宮前の若宮大路という場所あたりに住んでいたらしいけれど、現在は邸宅跡の石碑などは残っていない」とのことでした!



その事実が分かっただけでも、十分貴重な情報でした。。


少ない情報の中、一生懸命調べて教えてくださり、、感謝しかありません!

鎌倉の方々の温かさに、目頭が熱くなりました。。



▼小山朝政について



▼八田知家について





はい!今回は2本立てでみなさんにご紹介させていただきました♪


今回の鎌倉旅から改めて、栃木の武将「藤原秀郷」とその子孫と「源頼朝」の関係を再確認できました!まだまだ秀郷の旅は終わりません!全国各地にある藤原秀郷由縁の地に行ってきたいと思います!!


では、次回の旅ブログもお楽しみに~☆(^ ^)




▼「鎌倉幕府と栃木の武将」の関係についての歴史ブログへはこちら♪▼
















▼前回の【神奈川県鎌倉市 へ行ってみた!その1】旅ブログへはこちら♪▼


















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