第 1 章
出会い
わたしは、はづきまお、十一歳。
氏名を漢字で書くと「葉月真生」だ。「まお」って名前は気に入ってるんだけど、 漢字が読みにくいせいで読みまちがえられることがけっこうある。「まき」とか「まう」とかはまだましな方で、わたしが女子なのをわかってて「まさき」とか「まさお」とか呼ぶおとながいるんだからイヤになっちゃう。
通ってる小学校では。友だちから普通に「マオ」って呼ばれてる。
ただし、同じクラスの一部の男子は陰で「ギャオ」なんてあだ名をつけてるらしい。というのも、わたし、結構気が強くて、何でも口に出して言っちゃう方だから、教室のそうじ時間にさぼってふざけてるような男子がいると「ちゃんとしなさいよ!」と注意するし、それでも聞かない 時はすぐ担任の先生に報告してしかってもらう。あの子たちからすれば、わたしはギャアギャアとうるさい存在なんだろう。まあ、もしわたしに面と向かってそんな呼び方するやつがいようものなら、即担任に言い付けてやるんだけど。
わたしが住んでるのは東京都。都内にいくつかある副都心の中でも一番歴史的な文化が多く残ってるエリアで、上野動物園が近い上野駅と、外国人の観光客がすごく増えていつもにぎわってる浅草駅との間くらいの場所にマン ションがある。
パパとママは、都内の同じゲームメーカーに勤めてる。パパは、プログラマーと いってスマホやパソコンで遊べる ゲームを実際に作ってる人。ママは、完成したゲームを主にインターネットで宣伝するプロモーターという職業だ。
わたしは一人っ子。
学校の部活には入ってない。パパもママも普段は帰りが遅いから、学校の日は、 放課後いったん家に寄り、夕方から塾、ピアノ、習字の習い事。わたしが家に戻る夜の八時から九時の間にちょうどママが会社から帰ってくる。パパが帰宅するのは、たいてい夜の十一時前後らしい。その時間だと、もうわたしはぐっすり寝てるから、あんまりくわしくはわからないんだけど。
今は四月に入り、春休みのまっただ中。新学期になれば、わたしは六年生に進級する。
春休み中は、学校から出される宿題も夏休みと比べてうんと少ないし、ピアノと 習字の教室はあるけど、週三回の塾は受験クラスじゃないからお休みなの。これはとっても気が楽だよ。
休みの間のわたしの日課は、午前中に宿題や五年生時の勉強の復習をすませ、ママが作り置きしてくれるご飯とおかずをチンしてお昼ごはん。午後一時から六時までが自由時間になってる。習い事がなければ六時にはちゃんと 家に帰り、お昼同様ママごはんチンで一人夕食。ベッドに入る九時までは、テレビを見ててもいいし、ママのノートパソコンを使ってもいい。パパもママもコンピューターやインターネットの最新技術を使う業界で働いていながら、何でも「教育方針」とかでわたしにはスマホもまだ買ってくれてないから、家での調べ物はパソコンがとても役に立つ。
午後の自由時間に同級生の梨花ちゃんや美麗ちゃんと遊ぶ予定が入ってない日は、たいてい児童館か図書館に行く。
わたしは本を読むのが好きだ。児童文学の全集は四年生までにほとんど読んだし、五年生になってからは少年少女向け推理小説や世界の偉人の伝記なんかをよく読んでいる。
で、マイブームになってるジャンルが、日本の武将……武術や武略に優れた侍たちのリーダーだ。
どうしてって、伝記の中で特に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国武将 のお話が、とても面白かったんだもの。日本の歴史を授業で習うのは六年生になってからだから、時代についてはまだピンとこない部分もたくさんあるんだけど……でも、彼らはすごくかっこいい!
強くて、頭が良くて、そしてキリリと、堂々としてて……あこがれちゃう。
さすがにそんな男子は、クラスにも、学校にもいない。
クラスにいる男子ときたら、歴史や戦国武将の話なんてこれっぽっちもできないのはもちろん、いつもゲームかアニメか特撮ヒーローの話しかしてないし、ほんとにおこちゃま丸出しなんだから。梨花ちゃんと 美麗ちゃんは、サッカー部に入ってる近藤君や、バスケ部にいる佐藤君がいいって言ってるけど、わたしから見れば二 人だってドングリの背比べ。ほかの子とあんまり変わらない。
武将みたいな、それは外見とかじゃなく、一筋で、律儀で、男らしい……そんな男子は……まあどこにもいないだろうから、せめて武将話で盛り上がれるような男子がいたらなぁ……。
もっといろんな武将たちの本が読みたくて、わたしはその日、家から自転車で十五分くらいかかる児童館へ行った。
本の数は図書館と比べ物にならないほど少ないけど、そこの児童館は周りにいくつかある児童館の中で一番大きくて、図書室は日本の歴史に登場する人物伝がとても充実してる。事務室のおばさんに聞いたら、歴史好きの人から大量に寄贈されたものらしい。
だから、この春休み中は毎日午後からの児童館通いがほぼ定番になっていた。
それは、四月に入ったばかりのエイプ リルフール。
いつもの児童館の図書室に直行すると、普段は低学年の子たちしかいない 机に見慣れない男子がすわってた。学年は同じくらいだ。
うちの学校では見かけたことがないから、近くの別の小学校に通ってるんだろう。
児童館にはいろんな学校の子が来るし、ふだん見かけない男子がいてもそれは別に不思議じゃない。
だけどなぜだか気になって、わたしの目は自然と彼の方へと向いてしまう。
背はわたしより高そう。スラリとした体型で、自然な感じにサラサラの短い髪を下ろしてて、なかなかのイケメンだ。梨花ちゃんや美麗ちゃんが彼を見たら、きっとすぐファンになっちゃいそう。
でもわたしの目がくぎ付けになったのは、彼の見た目じゃなく、彼が持っている本だった。学習まんがのシリーズの一つで、表紙には馬に乗り、刀をふるって戦う日本の武将が描かれている。
戦国武将が好きなのかな!?この子なら、歴史とか武将の話ができそうかも。
わたしはそれとなく、彼の斜め向かいの席に座り、その本を横目で見た。
ひらしょうもん?
漢字では「平将門」と書いてある。
わたしが読んだ戦国武将たちの本で、そんな人物は出てこなかった。一体どんな人なんだろう。頭を巡らせていると、彼の周りに数人の男子が集まってきた。
「おい渉、今日はドッチボールやらないのか?」
「昨日みたいにお前が入ってくれたら、おれたちのチーム、無敵なんだけどなぁ」
あの子の名前は「わたる」って言うのか……渉くん……。
名札を胸に付けてれば、名字までわかるんだけど、今は春休み中だから児童館に 来てる子はだれも付けてない。
声をかけられた渉くんは、彼らに笑顔でこたえた。
「昨日、剣道の大会があってさ。けっこうがんばったから、ちょっと体がだるくて。だから、今日は読書の日。それにこのまんが、案外おもしろいんだ」
「へえ〜〜、渉って剣道やってたの?それで試合はどうだったんだよ?」
「五年生の部で、一応準優勝」
「すげ〜〜〜っ !それで運動神経がいいんだなぁ」
と、ここで事務局のおばさんが割って入ってきた。
「図書室では静かに。お話しするなら遊ぎ場やゲームコーナーでやりなさい」
そう言われて、渉くんたちは図書室を出て行ったから、この時点でわたしが知る彼の情報はごくごく限られたものでしかない。イケメンで、剣道が得意で、運動神経も良くて、ひょっとしたら戦国武将ファン。それに、学校がちがっても同じ学年というのは、何だか妙にうれしかった。
これまで図書室で会わなかったのは、いつもちがう階の体育室や屋外遊ぎ場で彼が遊んでいたからだろうか。
わたしは彼が持っていたまんがの人物がとても気になり、帰宅してからすぐママのパソコンを立ち上げた。
「平将門」というワードで検索すると、それは平安時代の武者「たいらのまさか ど」だとわかった。戦国武将とはちょっと違う。
インターネットの百科事典を読むと、日本の武士は九世紀、天皇やその親族、上流貴族らが政治を行う平安時代に発生したと言われてるそうだ。馬上で弓を操る新式の武芸を身につけ、当時の公的機関から武装を認可された人たち……それが武士の始まり。
時代は十二世紀になると、急速に勢力を伸ばしてきた武士の政権である鎌倉時代へと移り、十四世紀に室町時代、十六世紀に安土桃山時代、そして十七世紀に江戸時代へと、ずっと武士が日本の政治を取り仕切ってきた。けれど、そんな武士の世 が続いたのも江戸時代まで。十九世紀の明治時代から、日本は近代国家へと歩んでいく。
ちなみにわたしの好きな戦国時代は、室町時代の後期から、安土桃山時代の終わりまでの年代を指す特別な用語だ。
平将門は、戦国時代よりもさらに五、六百年も昔の人だった。武士って、奥が深い!
当時は京都に天皇を頂点とする政府「朝廷(ちょうてい)」があった。将門は関東の豪族で、京都に平安京を造った桓武(かんむ)天皇の子孫でもあるんだけど、時の朝廷を動かしていた権力者たちのグループからは外れていたから、身分はかなり低かった。とは言え、皇居の警護にあたる「滝口武者(たきぐちのむしゃ)」としての地位は持ってたようで、彼が武士の起源にあたると主張してる学者もいるらしい。
将門は地元で信望があつく、豪族同士の争いに巻き込まれていくうちに、とうとう関東地方全域を実力で支配。しかも、京都の天皇とは異なる関東の新たな統治者という意味で「新皇(しんのう)」なんていう称号まで名乗っちゃった。
これは天皇に対して武士階級が起こした初めての反乱と言われていて、驚いた朝廷はただちに追討軍を編成して京都から出立させ、将門を呪い殺すための調伏 (ちょうぶく)まで神社や寺に命令した。結局、追討軍が関東へ進出してくる前 に、将門は地元の敵対勢力との戦いに敗れて討ち死にし、乱はたった二カ月で鎮 圧。討ち取られた将門の首は京都に運ばれ、見せしめのため庶民に公開された。これが、明治初期まで重罪人に対してずっと行われてきた「獄門(ごくもん)」とい う斬首刑の起源みたい。
言い伝えによると、その首はある夜、離れた胴体を求め、白い光を放って東へと飛んでいった。その首が落ちたとされる場所の一つが東京で、現在の皇居に近く、 日本経済の中心地なんて言われてる大手町に残る首塚だ。
首塚とは、合戦などで死んだ人を供養するために作られたお墓のようなもの。将門の首塚に無礼な行為をした人間には恐ろしい タタリがあると古くから伝えられ、 近現代に入ってからも工事で壊そうとるたびに関係者が次々と謎の死をとげたらしく、ここだけは開発されずビルとビルの間にずっとそのまま残ってるんだって……怖い〜〜〜。
タタリなんていうおどろおどろしい 伝承の一方で、平将門は死後しばらくしてから江戸の神田明神に神様としておまつりされ、武士からも町民からも親しまれるようになった。ちなみに昔は、東京の都心部を江戸って呼んだの。神田明神は、今も神田祭っていう大きなお祭りを行う神社として有名だから、わたしも知ってる。
時代は流れて昭和に入ると、将門は小説やテレビドラマの主人公にもなり、古い体質で、だ落した京都の政治に対抗し、新しい時代をつくろうとしたヒーロー、そして東京の守護神として今も高い人気を得続けていると、ネットの事典には書かれていた。
で、翌日の午後も、わたしは児童館に向かった。
渉って子の顔がどうしてだか頭から離れなくて……気になって……もっと彼のことについて知りたくて……こんなに気分がウキウキするなんて、自分でもおかしい。
赤白ボーダーのTシャツの上から、お気に入りのブルーのパーカーをはおり、白い七分丈パンツというファッションは、いつもよりちょっと気合いが入ってる。
児童館は家から南の方角にあって、こっちの方へ行く時には必ず立ち寄る場所がある。
それは、名前もよくわからない 古びた神社。だって、普通は神社の鳥居の上とか石碑とかに神社名を記してるじゃない。それがこのお社にはどこにもない。
境内はテニスコートの半分くらいの広さ。相当の年月がいってそうな石造りの鳥居をくぐり、少し奥にこれまた虫食いだらけで今にも倒壊しそうな古い社殿が建ってる。周りは雑草でぼうぼうだ。
近くにある幼稚園に通ってたころの遊び場の一つで、マンションや商店やオフィスビルが入り交じってにぎやかなエリアなのに、ここだけは落ち着いた雰囲気で、 人があんまり来ない。ミステリアスなと言うか、怪しげなと言うか、わたしだけの 秘密基地みたいにも思えて、小学校に入ってからもちょくちょく足を運んでは、ぼ んやりとくつろぐ。
この神社には社務所がなくて、神主さんとか、管理してる人とかを見たことはこれまでたったの一度もない。社殿の前には古くてぼろぼろのさい銭箱はあるんだけど、ひしゃくで水をすくって手を清める場所や、手を合わせる前に鳴らす鈴すらないのは、神社としてちょっとさびしい気もする。
わたしにとっては遊び場だったりいこいの場であったりするにしても、神社は神様がおまつりされてる所なんだから、行けばちゃんとお参りもする。
学校がある日なら、通学用のぼうしは頭から取って、鳥居の前できちんとおじぎをしてからくぐる。これはだれから教わったのでもなく、神様がいらっしゃるんだから、自然と礼儀正しくなっちゃったの。
社殿の前では、サイフの中から五円とか十円を取り出して、さい銭箱の上に手を差し出し、中にポトンと落とす。そんなにたくさん毎月のおこづかいをもらってないわたしにとっては、これだって大金。
そして、手を合わせ、目をつぶり、いつも同じ言葉をかける。
「神様、いつもマオや、家族のことを守ってくださり、ありがとうございます」ってね。
でも、この日の言葉はいつもとちがった。
「神様…… 渉って男の子と、また児童館で会わせてください……できれば、ほんのちょっとでもお話できたら……」
どうしてそんな言葉が出てきたのか、わたし自身不思議でしようがないんだけど、ごく自然に、ふと口にしてしまったの。念押しするけど、イケメンで運動神経抜群ていう、周りの女子がすぐ飛び付く軽薄な理由なんかじゃ……ううん、正直に言えばその要素もほんのちょっぴりはあったかもしれない。でも、あの子の持ってた本に対する関心と、得体の知れない 奇妙な親近感、それに何だか気持ちをさわやかにしてくれるような笑顔が、心のどこかにピタリとはり付いたままになってる。あの子にもう一度会いたいという気持ち……わたしの中でそんなに大きくふくらんでいたんだろうか……。
でも本当に不思議だったのは、両手を下ろして目を開けた直後のこと。
それまで静かだった周りの草木が、急にザワザワ言いだした。
どうしてだか、肩からひじにかけて鳥はだが立つ。
突然、ヒューーーッと音を立てて、強い風がわたしの髪とほおをなでたかと思う と、ピタリとやんだ。強いのに、温かくて、優しい風……。
今のは何?普通に風が吹いた……というのじゃない。
風じゃなく、力が動いた……わたしにはそう感じられた。
じゃあ、何の力? そう聞かれたら、「わからない」としか答えようがない。
妙な気持ちを抱いたまま、わたしは児童館へ向かった。
目次
第 10 章 近日公開
・・・