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第 13 章

決戦

 神田川は、緑の中を流れていて、河川敷で水遊びができるようないやし系の川じゃない。
 わたしが、渉くんに化けた式神と出くわしたのと同じ川で、そもそも人が簡単に立ち入れるような場所はほとんどないはずだ。 
 でも、天馬ビルから百メートルも離れていない所に、そんな場所があった。
 先頭に立って地面を駆けるトウタに、わたしと渉くんが続いていくと、見おぼえのある小さな広場に出た。そこは、わたしが天馬ビルに行く際、毎回自転車をとめていた広場だ。
 広場の先に、わたしたちでも簡単に乗り越えられそうな低いフェンスがはられ、その向こうに川がある。
 広場に入った直後、わたしたちの目前に百々目鬼が現れた。
「ひえぇ!」
 驚いた渉くんが急に立ち止まってわたしの肩をつかみ、引き止める。
 わたしが平然としてるので、渉くんも察したようだ。
「え?すると、この魔物も、トウタ……さんの子分なの?」
「ええ、そうよ。百々目鬼さんって言うの」
 わたしの返事に、渉くんは目を見開いて感心する。
「ご主人様、天馬たちはあの柵の向こうに。されど、式神が三匹、守っております」
 おばあさんのような声が、百々目鬼からトウタに発せられた。
「よし、大百足と共に、三匹とも始末せよ」
「はっ!」
 指示を出したトウタは、わたしの体をつたって右肩に乗る。
 広場には街路灯があるので、夜でもそれほど暗くはない。でも、普通の人が見たら、それは人っ子一人いないただの広場なんだろう。
「ホントだ……。フェンスの前に何かがいるよ。三つ」
 渉くんの言うとおり、そこには三体のがしゃどくろが見えた。駐車場でわたしたちを苦しめた天馬の式神にちがいない。
 百々目鬼がフェンスに向かって歩き出すと、やつらもこちらへゆっくりと向かってきた。
 毎度ながら、歯をガチガチならし、ヨタヨタした足取りだ。
 相手との距離は十数メートル。
 百々目鬼の胸にある一番大きな目から、火の玉が立て続けに飛び出た。
 炎弾をまともにくらった三体は、火に包まれてその場で止まり、両手を振って苦しそうにあえぐ……が、次第に火の勢いがおとろえ、ついには消えてしまうと、再び何事もなかったかのようにこちらへと進み出した。
 百々目鬼が、さらに炎弾を放つ。しかし、結果は同じことの繰り返しだった。
 わたしを尾行し、建設現場に現れたがしゃどくろは百々目鬼が一発で消滅させたけれど、こいつらはもっと強力ながしゃどくろ……。百々目鬼の炎弾では、敵の動きを少しの間止める効果しかないようだ。
「トウタ、このままじゃ……」
「まあ、だまって見ておれ」
 わたしが不安を口にしても、トウタは落ち着きはらっている。
 百々目鬼が三度目の炎弾を発射し、がしゃどくろの動きを止めると、今度は横合いから大百足が割って入った。
 体が大きい割には足運びが軽やかで、三体をまとめて何重にも胴体で巻き付ける。
 大百足は、火がついたままのがしゃどくろたちをさらに強くしめつける。三体は、見る見る細い一つの束みたいにつぶされていき、とうとう粉みじんになった。
 巻きつきを解いた大百足は、地面に散乱したがしゃどくろの骨をむさぼり食う。
 すさまじい光景を、わたしと渉くんはハラハラしつつ見守っていた。
 大百足ががしゃどくろの骨を食い終わるのを見届けたトウタは、肩から飛び下りた。
「門番は片付いた。さあ、行くぞ!」
 わたしと渉くんは、トウタの後を急いで追いかける。 
 広場の奥にはられているフェンスには、看板がかかっていた。
 「神田川・防災船着場」
 大地震のような災害が起きた時、人や物資を船で輸送するための場所だろう。
 フェンスの向こう側はすぐ川で、長さが三十メートル、幅が五メートルほどのコンクリート製浮きさん橋が見えた。浮きさん橋は船を横付けさせるための係留施設で、川上側の端と陸岸との間には、短い渡り橋がかけてある。
 トウタがひょいとフェンスをとび越え、渡り橋に着地する。わたしと渉くんも、トウタに続く。
 渡り橋がかけてある浮きさん橋のもう一方、川下側の端に、ずぶぬれになった天馬が柱にもたれて座り込み、田宮と竜二が介抱していた。
わたしたちに気付いた田宮と竜二は、どこから持ってきたのか一メートル以上ある角材を手に立ち上がった。
 浮きさん橋に渡ったわたし、渉くん、そしてトウタが、正面から向き合う。
「もう悪あがきはよせ!わしはすこぶる怒っておる。これ以上刃向かうと、容しゃせんぞ!」
 わたしと渉くんの前に出たトウタの警告にも耳を貸さず、二人は角材を振り上げ、鬼のような形相でやってくる。
 トウタが後ろを向き、「百々目鬼!」と呼ぶ。
 無数の目をつけた大きな体がわたしたちの前にサッと飛び出てくると、すかさず二発の火の玉を放つ。
 炎弾が胸に直撃した田宮と竜二は、その場でガクンと体をのけ反らせ、くずれるように倒れた。
 二人は、もうピクリとも動かない。
「トウタ、あいつら死んじゃったの?」 わたしの問いかけに、トウタは頭を左右に振る。
「いいや、気を失っただけじゃ。妖魔がはき出す炎は同じ妖魔を焼き尽くすこともできるが、人に対してそこまでの力はない。されど、人を失神させるくらいの衝撃を与えるのは可能じゃし、わしの使い魔にはさせぬが、邪心をはらむ攻撃であれば、相手に毒念をしみこませて精気を汚染し、運気を極端に下げるようなこともできる」
 トウタはそう言い、天馬に向かって単身ですたすたと歩き出した。
 ややおくれて、わたしと渉くんもついて行く。
 何台もの消防車が鳴らす、けたたましいサイレンが聞こえてきた。
 この場所からも建物の間から天馬ビルの上部が見えた。七階だけでなく、火は六階、五階にも延焼し、ペンシル型の建物は闇の中で燃えさかるたいまつのようだ。
 柱にもたれ、座りこんだままの姿勢で、天馬はなおも謎めいた笑みを浮かべていた。
 着物はあちこちが焼けこげてぼろぼろになり、真っ赤にただれた肌があらわになって痛々しい。
「ひどいヤケドじゃのう。これも全て神罰のなせるわざ。自業自得というもの。どれ、もはや観念したか?」
 トウタにたずねられた天馬は、フンと鼻で笑った。
「体はこんなダメージを受けちゃったけど、あたしの霊力はまだほとんど無傷で残ってるのよ。ビルも焼けて、龍脈を動かすのはとても難しいでしょうが、ここまでじゃま立てしてくれたあんたたちだけは許せない……生かしておけない」
「ほう、ならどうするつもりじゃ?お前の式神は、ことごとく打ち破ってやったぞ」
「式神がいないなら……平将門とその仲間たちに頼むわ」
 天馬は着物のふところをまさぐり、小さなカエルの置物を取り出した。
「七階から逃げる時に、一つだけどうにか持ち出したの。将門の首塚にあった置物をね」
 それを聞いて、わたしの胸の中がざわつく。
「この置物は、あたしにとって将門たちと交信する大事な道具。いけにえを取り上げられた彼らも、相当腹を立ててるわよ。だからその張本人であるお前たちを、あたしの身代わりになって存分にこらしめてもらう。持てる霊力の全てを使い、地下の怨念を地上に引き出せば、それがかなうはず」
 天馬は目を閉じ、両手に持つカエルの置物を胸に抱き、一心不乱に念じだした。
 カエルの置物が暗い光を放ち、点滅する。
「まずいぞ……マオ、渉、下がれ!」
 わたしたちはカエルの置物を注視したまま、後ずさりする。
 やがて、カエルの口の部分から青黒い煙がもくもくとふき出てきた。 煙は雲のようなかたまりとなってどんどん大きくなり、天馬をおおい隠す。
 雲は次第に薄い輪かくを現し、半透明で異様な生き物の姿に変化した。
 高さは大人の身長の二倍、横幅は浮きさん橋からはみ出るくらいのでっぷりとした体を、太くて短い四つ足が支えている。飛び出た大きな赤い目、後頭部までさけた口、鼻先から突き出した一本の大きな角。茶かっ色の皮膚には無数のイボがあった。
「これは……ヒキガエルの化け物?」
 後退しながら、渉くんが口をあんぐりと開ける。
「トウタ、これが将門の怨念なの?」
 この化け物からは、とてつもなく不快な気味悪さを感じる。
「長い歳月を経て集まった数多の怨念のかたまりじゃが、中心には確かに将門の邪念が宿っておる。無形の念が何らかの姿で下界に現れようとする場合、最も手っ取り早いのは生物であろうと無機物であろうと深く関連づいている物の外面を借りること。将門らの場合、それは首塚にまつられ、いつしか強い結びつきを生んだカエル。それでこのような趣味の悪い化身となったのじゃな」
 グオッ、グオッ、グオーーーーーーーッ!
 不気味な鳴き声をとどろかせ、巨大ガエルは前足を出し、前進してくる気配を見せた。
 浮きさん橋の反対側の端まで移動したわたしたちの前に、再び百々目鬼がガードに入る。
 間を置かず、胸の目から火の玉が機関銃のように発射された。
 炎弾による攻撃を受けた巨大ガエルは顔をゆらし、口をパクパクさせている。
 何十発もの火の玉で相手を炎に包み、百々目鬼は一時攻撃を止めた。
「やっつけたの?」
「あんなに火の玉を打ち込まれてもがいてるんだから、そりゃ……」
 と、渉くんがここまで言って、口をつぐんだ。
 まとわりついている物を払うかのように巨大ガエルが身ぶるいをすると、一瞬にして体を包んでいた炎が消えてしまったのだ。
 巨大ガエルは大きな口を開けて百々目鬼に向ける、と同時に、強烈な火炎が一直線に放射された。それは、百々目鬼の攻撃が機関銃なら、あっちは火炎放射器と形容できるほど格段に強烈な攻撃だった。
 火炎が百々目鬼に命中し、大きな爆発が起こった。
 思わず顔をそらしたわたしたちが、再び前を見ると、百々目鬼の姿は跡形もなく消えている。
「大百足、接近戦じゃ!火炎を受けぬよう、あやつの体に取り付け!」
 せっぱ詰まった声でトウタが命じると、わたしたちの横をすり抜けて、大百足がいち早く飛びかかった。 巨大ガエルの背中に取り付いた大百足は、ぐるりと胴体を巻き付け、相手のど元に鋭いキバを突き立てる。
 グワァオーーーーーーーーーーッ!
 巨大ガエルは上を向いて絶叫すると、うずくまるように体を丸めた。
 大百足は、巻き付けた胴体をさらにしめあげる。
 しかし、巨大ガエルは一向に動かない。
 大百足の胴体が、巨大ガエルの体にどんどん食い込んでいく。
 さっきのがしゃどくろみたいに、しめつぶされるのは時間の問題だろう。わたしだけでなく、渉くんとトウタもそう確信していると思ったのは、どことなく一息ついたような空気が流れたからだ。
 でもそれは、とんでもないカンちがいだった。
 縮こまっていた巨大ガエルは、急に体を持ち上げたかと思うと、後足で立ち上がり、バンザイするように前足を一気に広げた。巻き付いていた大百足の体が何か所
も引きちぎれ、周りに飛び散る。
 巨大ガエルの目の前に、大百足の頭部が落ちた。顔から数メートルのところで体はねじ切れ、わん曲したキバを左右に開いたり閉じたりしてもがいている。
 寸断された大百足の個々の体は、浮きさん橋の上だけでなく、水面のあちこちに浮かび、どれもまだ足を動かし、のたうっていた。
 これらに対し、巨大ガエルは火炎をはいたまま体を三百六十度回転させ、次々と焼き尽くす。
 見ているのがたえられなくなり、わたしは目をつぶり、横を向く。
 大百足は、あっという間に焼けうせてしまった。
「いかん!マオ、渉、すぐに逃げろ!」
 トウタの声は、緊迫の度を増している。
「でも、トウタは……」
「わしは、あやつの始末をつける。早う、言われたとおりにせい!」
「でも……」
 使い魔をみんな倒されてしまい、自身では大きな神通力も使えず、でもってこんなに小さな体でどうやってあのバカでかい化け物と戦うつもりなのか。とても勝ち
目のないトウタだけを残して、逃げられない。
 踏ん切りがつかず、グズグズしているわたしの手を、渉くんがつかんだ。
「ここにいたら危ない!行こう、葉月さん!」
 渉くんがわたしの手を取り、強引に渡り橋へ連れていく。
 わたしたちが橋に足をかけようとする寸前、巨大ガエルのはき出した火炎が渡り橋に直撃した。とても強い衝撃だったらしく、金属製の床板全体が大きくめくれ上
がり、とてもじゃないけど渡れそうにない。普通の人たちには、巨大ガエルの姿も、火炎も見えはせず、不意に起こった突風か何かで、渡り橋が自然に変形したとしか認識できないだろう。
 浮きさん橋から陸岸までは二メートル近く離れているから、飛び越えるのも不可能だ。水の中に飛び込めば、すばやく動けなくなったところを簡単に火炎で狙い撃たれてしまう。それ以前に、わたしは泳ぎが得意じゃないから、撃たれる前におぼれちゃうかも。
 浮きさん橋の端に追い詰められたわたしと渉くんは、もはや進みも退きもできない。さえぎられた行く手と巨大ガエルを交互に見やり、絶望感をだいてこの場に立
ちつくすしかなかった。
 のしのしと近付いてきた巨大ガエルは、立ち往生しているわたしたちに向けて口を開いた。火炎を吹き付けられる!
 こわばって動かなくなったわたしの体を、渉くんが抱きしめた。
「こ り ゃ ー 、そ こ の 化 け 物 ー ー ー ー !お 前 の 相 手 は わ し じ ゃ ー ー ー ー ー ー ー ー ー !」
 怒声を張り上げたトウタが、巨大ガエルに向かって駆け出した。
 わたしたちに炎をはこうとしていた巨大ガエルは、小さな声の主に対して顔を向ける。
 高くジャンプしたトウタが、巨大ガエルの顔に飛び付こうとした。
 その間際、巨大ガエルの口から猛烈な炎がふき出た。
 トウタはその火炎をまともにくらい、わたしたちの頭上を越えて、暗い川面へと吹き飛ばされていく。
「トウターーーーーーーーーーー!」
 わたしの叫び声が、むなしく川に響いた。
 そんな……トウタが……トウタが……わたしたちを守るために……。
 悲しんでいる余裕はなく、今度はわたしたちの番だった。巨大ガエルがこちらへ向き直り、口を開ける。
 ブクブクブク……。
 わたしたちのすぐ後ろの水面で、何かがわき出るような音がした。
 そっと振り向くと、確かに大きな泡が出続けている。
 巨大ガエルもその異変に気付いたのか、口を開けたまま静止する。
 泡からはキラキラと白く輝く無数の粒子が生まれ、一つのかたまりとなってフワリと立ち上った。
 わたしたちの頭上で空中に浮かんだ粒子のかたまりは、次第に身長二メートルほどの人の形へと変化し、色彩を帯びていく。
 がっしりとした体格の……若くて超イケメンの男性?……が身に着けているのは、日本で大昔に使われていた重厚なヨロイとカブト。手には弓矢も。カブトの前
面には、獣の角みたいなU字型の装飾物が付けられている。この目立つ飾りは金色の板状で、左右から上方に突き出た幅広の先端部は、オウギのように開いた独特の形だ。わたしは女の子だから家にはないけど、去年のタンゴの節句で遊びに行った男の子の家に、そっくりな姿の五月人形が飾ってあった。
「ねえ、これって日本の武者の出で立ちだわ……」
 その姿は半透明で、細部まではっきりとは見えないけれど、きっとそうだ。
「う、うん……確かに。しかも、あんな形のカブトが使われてたのは戦国時代よりもずっと前、鎌倉時代とか、平安時代とかなんだけど……一体だれ?」
 渉くんは日本の歴史に関して、わたしよりもずっといろんな知識を持っているらしい。でも、平安時代の武者だとしたら……。
「まさか……あなたは、トウタなの?……」
 つぶやくわたしとトウタを、渉くんが目を大きく開いたまま見比べる。
 わたしたちが見上げるその武者は、左手で持つ弓に右手の矢をつがえ、きりりと引きしぼった。
「我こそは、俵藤太あらため、先の鎮守府将軍・藤原秀郷なり!」
 そう大声で呼ばわった武者は、りりしい顔をわたしたちの方に向け、ほほえんだ。
 やっぱり!トウタの本当の姿がこれなのね!
 グルルルル……。
 うなり声を発した巨大ガエルは、トウタに向けてふいに火炎を発射した。
 トウタはサッと空中を横に移動し、火炎をすんなりとかわす。
 そして、二発目、さらに三発目も、わずかに体をずらして軽々とよけた。
「ハハハ、その程度か。化けガエルを形作る無数の念を結び付け、核の役目を果た
しておるのは、まさしく平将門の今なおしずまりきらぬ怨念。ならば、千年以上の時を経て、再び我が手でなんじを討ち取り、荒ぶる魂を弔(とむら)わん!」
 トウタの言葉がまだ終わらないうちに、巨大ガエルが四発目の火炎を、そしてこれまで以上に素早く一際大きな五発目をすぐ横の何もない空間に、いや、トウタがそこへ回避すると予想した地点に放った。
 四発目を避けて右横にずれたトウタの体に、五発目の火炎放射が直撃した。
 「うおおっ!」とトウタが悲鳴を発するのと同時に、大爆発が起こる。
 広がる爆煙と一緒に、トウタの体はバラバラになった。そのようにしか見えなかった。
「そんな……ウソでしょ?トウタ…………死んじゃったの?……」
 力が抜けてガクンと膝をついたわたしと渉くんの方へ、巨大ガエルが勝ち誇ったかのようにゆっくりと向きを変える。
 渉くんが、わたしをかばうようにして抱きしめる。
 巨大ガエルの大きな口が開き、もう今度こそ終わりなんだと諦めかけた、その時。わたしの視線はまだ未練が断ち切れずに、トウタが最後に浮かんでいた川面へと動いた。
 爆煙は薄らいでおり、その中からキラリと光るものが目に映った。
 それは、鋭くとがった矢の先で、次第に弓矢を持つ左右の腕、さらには鎧兜を身につけた武者の輪郭までがあらわになっていく。
 トウタは無事だったんだ!!!
 あの強烈な火炎攻撃をまともに受けたというのに、傷ひとつない勇壮な姿のままに見える。
 水上にはっきりと浮かび出たトウタは弓に矢をつがえたままの姿勢で、巨大ガエルの左側面をとらえる対岸上にすーっと水平移動する。
「お前の弱点は、そこじゃーーーーーーーーーー!」
 放たれた矢は一直線に巨大ガエルへと風を切り、その左後頭部に突きささった。
 巨大ガエルは、トウタに向き直ろうとした体勢のまま固まった。
 突き立った矢がキラキラと輝きだし、このきらめきが巨大ガエルの頭部から体全体に広がっていく。
 白く発光するオブジェのようになった巨大ガエルは、いきなり爆発し、花火のようなスパークが四散した。
 とっさに目を伏せたわたしと渉くんが顔を上げると、そこに巨大ガエルの姿はなく、浮きさん橋の反対側には天馬が突っ伏している。
 まだ極度の興奮状態で、言葉すら発せないわたしたちは、結末を確かめるべく天馬の元へ歩み寄った。
 対岸の水面に浮いていたトウタも、スーッとすべるように寄ってくる。
「トウ……いいえ、秀郷……様」
 ただそう呼びかけるのが、わたしには精一杯だった。
「トウタでよい」
 兜の下のりりしい顔が、優しくほころぶ。
「体は大丈夫なの?」
「ああ、あの火炎か。さすがにまだ動きにくい部分もあるが、まあ大事ない」
「じゃあ、全部終わったのね?」
「ああ、終わった。千年前、わしは将門のこめかみを矢で射抜いて討ち取った。そ
れゆえ、こたびも同じようにしてのけたのじゃ。将門と、やつを慕う無数の念は、
地下に舞い戻った」
「天馬は……」
「生きておろう。ほれ、息をしておる」
 言われてみれば、うつ伏せに倒れている天馬の肩がかすかに上下しているのがわかった。
「ただ、目を覚ませるかどうかはわからぬ」
「どういうこと?」「将門らの怨念を地下から呼び出すおり、こやつは霊力ばかりか、生きるために最低限必要な精気まで使い果たしたようじゃ。運が悪ければ、このまま一生目を覚まさぬかもしれぬな。まあそれも、身から出たサビよ」
 疲労、脱力、安ど、そしていろんな感情がまざり合い、わたしの口からひとりでに大きな息がもれた
「おお、それと、言うておかねばならぬことがあった。この後、お前たちは様々な
人間から、事の次第を何度もたずねられるじゃろう。そのおり、天馬の手下にさらわれ、天馬が信奉する暗黒密教の儀式でいけにえにされそうになったことは話しても良いが、わしについても、お前が見たありとあらゆる魔物らについても一切口にしてはならぬ。火災となったあのビルからも、お前たちは自力で脱出したことにせよ」
「どうして?」
「人というのはな、自分の目で見たもの、自分の常識の範囲内のものしか信用せぬ生き物なのじゃ。お前たちが、魔物や将門の怨念の話をいくらしたところで、だれも信じぬ。それどころか、話が余計にややこしゅうなろう。胸の内にしまっておくのが良い」
「うん……わかった」
「渉も、良いな?」
 トウタにクギをさされ、渉くんは「は、はい!」と直立不動で答える。
「さて、そろそろお別れじゃ」
「えっ、もう行っちゃうの?」
「龍の化身を解いたゆえな。社に帰らねば。受けた傷も癒さねばならぬ。されど、元の姿に戻ったればこそ、神通力を使えるようになり、カエルの化け物も倒せた。龍は水を得て力を増す生き物ゆえ、川の中に落とされてかえって良かったわい。化身を解けば、すぐにはなかなか体を自由に動かせぬものなのじゃが、水のおかげでどうにか力を使えた」
「これで……もう会えないの?」
「わしはお前の守護神ぞ。マオが我が社をこれまでどおり大事に思うていてくれる限り、お前の身に万が一危機が迫ったおりには、必ずや助けに来よう」
「トウタ……」
「さらばじゃ」
 一旦は身構えたトウタが忘れ物でもしたかのように、突っ立ったままの渉くんをチラリと見やり、再びわたしを見下ろした。
「マオ、うまくやるのじゃぞ」
「えっ?えっ?」
 何をうまく?……
大人たちへの説明を?それとも……渉くん?
 ニヤリと笑ったトウタは、そのまますごいスピードで天に上がり、光の玉となって神社がある方向へ飛び去った。
 だから結局、トウタの真意はわからずじまいだ。
 わたしは深呼吸し、様々な思いをこめて声を張った。
「トウタ、ありがとうーー!……ありがとうーーーーーーーーーーーー!」
 トウタが去った後の夜空を見上げ続けるわたし、そして渉くん。そんなわたしたちの顔に、いきなり光が当たった。
「おい、君たち、そんな所で何をしている?」
 陸岸のフェンス越しに声をかけてきたのは、懐中電灯をこちらに向けてのぞき込む数人のお巡りさんだった。
「ひょっとして、葉月マオちゃんと、相羽渉くんかい?」
 どうしてわたしたちの名前まで知っているのかわからないけど、お巡りさんの一人が問いかけてきた。
「はい、そうです!」
 わたしたちは、声をそろえる。
 別のお巡りさんが、倒れている天馬に懐中電灯を向け、仲間に話しかけた。
「おい、あれは天馬冬樹じゃないか?」
「うん、そうみたいだ」
 このやり取りを受けて、一人が肩に付けた無線機を手に取る。
「和泉橋の防災船着場にて、行方不明の小学生二人を発見。そばに、誘かいの被疑者と見られる天馬冬樹らしき男性が倒れている。至急、救急車の手配を願う!繰り返す……」
 無線で話すお巡りさんの隣にいる一人が、わたしたちに大きく手を振る。
「二人とも、すぐに助けるから、その場を動かないでね!」
 わたしと渉くんは、どちらからともなく手をにぎり合った。
 救出されるまでお互いに一言も話さず、わたしは渉くんの手のぬくもりをずっとかみしめていた。

第13章挿絵
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