エピローグ
浮きさん橋と陸岸との間に板が渡され、わたしたちが警察に助け出されたのは、深夜の零時過ぎだったらしい。
それから救急車で病院に運ばれて簡単な診察を受け、ベッドで寝ていると半泣きのパパとママがやってきてわたしを強く抱きしめた。
特にケガはしていないし、体が弱っている訳でもなかったので、家にはすぐに帰れた。
翌日の昼までベッドでぐっすり寝てから、会社を休んだパパとママに連れられていったのは、秋葉原周辺エリアを担当する警察署だった。事情聴取といって、何が起こったのかを刑事さんにくわしく話すためだ。
ここで、わたしがいなくなってから、家と警察で起こった不思議な出来事を聞かされた。
昨日の夜八時過ぎ。自宅に戻ったママは、わたしがいないことを心配して、学校の友だち何人かの家に電話をかけた。だれにも心当たりがなく、不安がますますつのっていた時、ママの携帯に電話がかかってきた。発信者は、わたしが行っているあの児童館だった。よく出かける場所の連絡先は、一応ママに教えている。でも、こんな遅い時間に児童館の職員はいないはずと、不審に思いながら電話に出ると、聞いたことのない小さな子の声がまくし立てた。
マオが相羽渉という同学年の友人と共に、頭のおかしな霊能者・天馬冬樹に誘かいされ、秋葉原にある天馬のビルに閉じ込められている。天馬はマオと渉を、怪しげな儀式のいけにえにして命を奪うつもりだ。すぐ警察に通報して、二人を救え。
大ざっぱには、こんな内容だった。電話の子は言うだけ言うと、自分から通話を切ってしまった。折り返し児童館に電話をかけても、だれも出ない。ママは、たちの悪いイタズラだと思ってしばらく放置していたんだけれど、午後九時、十時、十一時を過ぎてもマオが戻らず、パパがようやく帰ってきたところで警察に電話をかけた。
他方、警察にも同じ児童館から奇妙な通報が入っていた。自分の氏名は名乗らず、子どもの声で、ママに告げたのと同じ内容を話し、「今すぐ天馬冬樹のビルを捜索しろ」と言って切った。
どちらの電話も、トウタのしわざなのは明らかだった。無人の児童館に忍び入って、固定電話を使ったんだ。ママの携帯番号は、家にいる時にキッチンにはり付けてある家族連絡先メモを見て、おぼえていたのかもしれない。
警察でも、当初イタズラ電話と判断してそのままにしていたのが、パパとママが通報し、さらには帰宅しない渉くんを案じたおじいさんとおばあさんからも一一〇番が入ったことで、事態は動き出した。
秋葉原の中心繁華街にある担当警察署では、交番や駐在所に詰めるお巡りさんに巡回を指示し、宿直の刑事さんには念のため天馬冬樹ビルを訪ねて変わったことがないか確かめるよう命じた。その直後に、消防本部から天馬ビル火災の連絡が入ったという。
わたしと渉くんは、浮きさん橋で救出されてから離れ離れになり、それっきりになってしまった。
トウタに言われたとおり、わたしは誘かいされた事実だけを警察で話した。その内容は、広場で気を失っているところを逮捕された竜二と田宮の供述でも証明された。二人が、天馬の呪術についてどこまで話しているかはわからないけど、事実を包み隠さず打ち明けたとしても警察の方がまともに取り合わないだろう。
天馬は、結局意識が戻らず、警察病院で眠り続けている。回復するかどうかは、医者もわからないらしい。
それを知った竜二と田宮は、全ての罪を天馬になすりつけ、自分たちは甘い言葉と金で指示されたことをやっただけと弁解しているようだ。
春休みが終わるまでの間、心配性のパパとママのせいでわたしは一人での外出が禁止となり、児童館にも行けなかった。だから、渉くんにも会えていない。
六年生に進級する学校の始業式は、久しぶりの一人外出となった。
一限目の前にある朝の会で、担任にして三十代独身の藤原裕美先生が教室に入ってくると、その後に一人の少年がついてきた。
転校生だ。教室内がざわつく。
その子の顔を見たわたしは、心臓が飛び出しそうになるくらい驚いた。
「はーい、皆さんに新しいお友だちを紹介します。相羽渉くん!」
教壇の藤原先生に紹介され、隣に立った渉くんがちょこんとおじぎする。
「相羽くんは元々横浜の生まれなんだけど、お父さんとお母さんが去年からお仕事でドイツに行っておられて、鎌倉にいらっしゃるおじいさんとおばあさんのお家にいたの。でも、場所が不便だと言うので、この春から東京で別にマンションを借りて、ご両親がお帰りになるまで三人で暮らすことになったのよ」
藤原先生の言葉は、ほとんど耳に入らない。
「イケメンじゃない」「親はドイツなの?」「鎌倉のお金持ちの家よね」「運動神経よさそうじゃん」……
クラスメートの私語も、もちろん耳にちゃんと入ってこない。
やや緊張気味に目を泳がせていた渉くんが、教室の真ん中くらいの窓際にいるわたしをとらえた。
「あっ」と小さく口を開けた渉くんは、表情をパッと明るくさせる。
フリーズしたままのわたしと、視線が交わる。
「えっ、何?何?相羽くんは、葉月さんと知り合いなの?」
このシチュエーションに敏感な反応をした藤原先生のせいで、クラスメートが一斉にわたしを振り向き、さらにざわめく。
そんなことにはおかまいなしで、わたしは思わず席から立ち上がっていた。
「渉くん!!!」
わたし、自分から話しかけてる!しかも、こんなに大きな声で!
事件後離れ離れになってまだそれほど日も経っていないのになぜだかとてもなつかしく、浮き立ったままどこかへ飛んでいってしまいそうな胸のときめきが止まら
ない……そんな気持ちをいっぱい込めて、わたしは弾けるような笑顔を渉くんに返した。
(おわり)