第 10 章
魔界からの逆襲〈その1〉
翌日。
朝ご飯をすませ、パパとママが出かけた後、わたしも自転車で児童館へ直行する。着ていく服にまで頭が回らなくて、昨日とほとんど同じファッションだ。
開館直後の児童館に入り、図書室だけでなく、図工室、音楽室、飲食コーナー、屋外遊ぎ場、体育室を見て回ったものの、渉くんの姿はない。
まだだれもいない図書室で待つことにすると、机に置いたショルダーバッグの中からトウタが顔を出した。
「芸能事務所の方は、朝から臨時職員の女しか出勤しておらんな。あとの二人はどうしたのか…… 」
「百々目鬼さんからもう知らせがあったの?」
「知らせは、事務所の中に忍び込ませた昨日の夕刻以降、ずっと届いておる」
「ずっと?どういう意味?」
「百々目鬼は、目に映った光景を念波によって、ずっとわしに送り続けておるからな」
「念波?」
「何度も南蛮語は使いとうないが、テレパ シーのことじゃ。あの事務所には、アルバイトとか言う臨時職員のほかに、竜二と、社長で竜二が『田宮の兄貴』と呼ぶ金髪の男がいる。この田宮も、竜二同様まっとうな社会人には見えぬ。田宮と、日が暮れて外から戻ってきた竜二が、アルバイトに聞かせとうない内容なのか、何やらこそこそと隅で話し合っておる様子が見られた。声が小さすぎて、話の中身まではわからぬ。さりながら今朝は、会社のカギを預かるアルバイトが一人出勤しただけで、まだだれも出てこぬ。一体どこで何をしておるのやら」
「百々目鬼さんはひそひそ話を聞くために、近づけなかったの?どうせ二人には姿が見えないんだろうし」
「やつらの背後におる天馬の霊力はあなどれぬ。結界こそ張ってはおらぬが、侵入者を探知する霊的なワナを仕掛けておるかもしれん。こちらの手の内を相手に見せぬためにも、用心して天井のすみに潜むよう命じておるのじゃ」
「そっか〜。事務所の二人、天馬のビルにでも集まって、悪だくみでも話し合ってるのかしら」
「さあな。何をしておるにせよ、消息をつかめぬのはやっかいじゃ。二人が会社に現れれば、すぐさま百々目鬼を通じて様子を確認できるが」
百々目鬼がもぐり込んだ昨日の夕方から、トウタへ送られてきたテレパ シーの映像によると、室内には天馬の大判写真や、天馬が出演しているテレビ番組の宣伝用ポスターばかりがはられていて、天馬専門と言っていいようなオフィスらしい。
かかってくる電話への応対からトウタが判断するには、田宮が放送局や広告代理店との交渉にあたって天馬のスケジュールを管理し、竜二がマネージャーとして番組やイベントに天馬と同行している。
しかし、二人がひそひそ話をしていたということ以外に、事務所内でいかがわしい相談や、うさんくさい電話をしてるといったあやしい様子はまったく見られなかったようだ。
あそこでは、芸能事務所としての通常業務が行われているだけなんだろうか。
いや、そんなことない!現実に、ドリームエイジプロモーションは子ども鑑定大会なんて催しを利用して、天馬に子どもの精気を吸い取らせてるじゃない の。わたしたちが、まだあいつらのシッポをつかんでいないだけなんだ…… 。
うで時計を見ると、もう十時半を過ぎていた。渉くんはここには来そうにない。 ならそろそろ、天馬ビルに行かないと…… 。
わたしは児童館を後にして、神田川と並行に走る道へ出た。
東京の都心部を西から東へ流れる神田川は、川と言うよりも、水の流れる大きな溝と言った方が近い。ただし、秋葉原エリアまで来ると、川幅は五十メートルくらいに広がり、お城の堀みたいな外観になる。
河川敷とかはまるでなくて、川の両側はすぐ堤防。川沿いにはビルが立ち並んでいるから、わたしが走る道から水面はほとんど見えない。
昨日も自転車をとめた広場まで、あと数十メートル。
建物と建物の間に青空パーキングがあり、そこだけは視界が開けて川を見通せた。わたしが何気なくそちらに顔を向けると、対岸の堤防の上を人が歩いていた。
この堤防の上って、立ち入り禁止のはずだけど。危ない人だなぁ…… いや、子どもだ…… いやいや、ウソ !あれは、渉くん?
わたしは急ブレーキをかけ、パーキングの奥にハンドルを切る。堤防の手前まで進んで目をこらすと、それは確かに渉くんだった。
こんな所で、何をしてるの?
わたしのいる場所からちょうど対岸に渉くんが差しかかった時、彼はこっちを向いた。
川をはさんで、わたしと渉くんはちょっとの間見つめ合う。
「渉く…… 」
わたしが声をかけようとすると、意外にも彼は満面の笑みを見せた。
渉くんが、わたしに笑顔を…… 。ひょっとして、ゆるしてくれたの?わたしの話、信じてくれたの?
次の瞬間、彼は背中を見せ、堤防の向こう側へと飛び下りた。
どういうこと?渉くんは、わたしにあっちへ来いって言ってるの?
「おい、マオ!どうした?」
わたしの異変に気付いたトウタが、バッグからチラリと顔をのぞかせる。
「渉くんがいたの!川の向こうに!一人で堤防を歩いてて、向こう側へ下りたのよ!追いかけなきゃ!」
「待て、それ はまことに渉なのか?」
「見まちがうはずない!それに彼、わたしに笑顔を見せた!」
「なんじゃと?昨日はえらく目くじらを立てておったのに、どういう心境の変化じゃ」
「そんなの知らないわよ。でもあんな風に笑ってくれたのなら、きっとわたしの話を聞いてくれると思う」
「う〜む、わしはどうにも解せぬが…… もうここから姿は見えぬのじゃな?」
「だから、急いで川向こうへ行かないと!見失っちゃう!」
わたしは自転車の向きを道路側に変え、ペダルを踏んだ。
「マオ、待つのだ!しばし気をしずめて、考えなおせ!」
トウタの言葉が耳に入らないほど、わたしのテンションは上がっていた。
神田川にまたがる一番近い橋を目指し、対岸へ。
渉くんがいたと思われる場所まで自転車をとばし、周囲を見回す。
彼の姿は見えない。
まだあれから五分くらいしかたってない。きっと近くにいるはずだ。
街路に囲まれた区画を一つ一つ見て回る…… けど、いない。
どこに行っちゃったんだろう…… あきらめかけた時、十字路の五十メートルほど先に渉くんらしき人影を見つけた。
大きな建物の前に立っている。
勢いこんでペダルをこぐと、テンポを合わせたかのように、その人物は建物の中へと入っていった。
彼が立っていた場所まで来てみると、それはオフィスビルでも、商業ビルでもない、四階建ての立体駐車場だった。
車をエレベーターに乗せて入れるのっぽのタワー式じゃなく、各階をつなぐスロープを自分で運転して上がるタイプ。一つのフロアに数十台はとめられそうだから、この近辺ではかなり大きな建物の部類に入るだろう。
コツン、コツン、コツン…… 。
階段を上がる足音が聞こえ、建物の屋外階段を見上げた。
さっきよりも近いから、今度ははっきり見える。やっぱり渉くんだ!二階から三階へ上がろうとしている。
わたしは自転車をその場に倒し、彼を追いかける。
一階…… 二階…… 三階。この駐車場が本来よく利用される時間帯とずれてるのか、どの階もとまってる車はわずかで、ガラ空き状態だ。フロアはだだっ広くて見通しがよいから、人がいればすぐにわかる。でも、いない。すると、まだ上に?
四階に上がると、黒っぽい車がたったの一台。そして、ここにもいなかった。
案内板を見ると、屋上も駐車場になってる。わたしは、階段を駆け上がる。
屋上駐車スペースは屋根がなくて、周囲は小五女子で平均的なわたしの身長よりずっと高い金網で囲まれていた。
車は一台もいない…… けど、渉くんはいた!
ほ装されたグラウンドみたいな空間のど真ん中に立って、わたしを見ている。
「渉……くん?」
階段を上がりきったわたしは、肩で息をしつつ、ゆっくり歩み寄った。
渉くんは、まっすぐわたしを見つめ、再び笑みをこぼした。
やっぱり怒ってない。少なくとも、わたしがキテレツな話をしてるんじゃないって、わかってくれてたんだ!良かった〜〜!
「おい、マオ、止まれ!」
胸をなでおろすわたしに、思いがけないトウタの鋭い声が飛んだ。
「えっ?」
「あれは渉ではないぞ!だまされてはならぬ!」
ショルダーバッグからはい出したトウタは、わたしの右肩に乗る。
「何言いだすの?あれは渉くんだよ!」
だって、どこからどう見ても渉くんなんだから。
「ちがう!目ん玉ひんむいて、よおく見てみい!」
トウタは大まじめだ。
わたしは渉くんの十メートルほど手前で立ち止まり、彼の顔に見入った。
こっちに向けられている渉くんの笑顔…… 笑顔?…… 顔は笑ってるのに、目だけ笑ってない。わたしに向けられていたのは、冷たくて、どことなく気持ちの悪い笑み。
あれが渉くんじゃないのなら…… 。
「人の姿に化身した式神じゃ!」
トウタの言葉が終わるか終わらないうちに、渉くんの顔がゆがみ、肩ががくんと落ち、やがて全身がぼろぼろとくずれだした。古くなった紙ねん土の人形みたいに。
表面がくずれ落ちた後に中から出てきたのは、あのがしゃどくろだった。
目次
第 11 章 拉致された二人
第 12 章 近日公開
・・・